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2008年11月

2008年11月10日 (月)

019 スイス登山鉄道の旅

Cimg3064 Cimg3071 Cimg3043 Cimg3141 Cimg3135 Cimg3092 Cimg3115 Cimg3121 Cimg3169 Cimg3170 Cimg3077 Cimg3014 Cimg3070 Cimg3187 Cimg3032 ☆ スイス名峰・ユングフラウ‘アルプスの乙女’とアッレッチ氷河(世界自然遺産登録/2001年) -ハイジの心-

・スイスへの旅、目的はユングフラウ・ヨッホへの登頂とアルプス展望。

・アルプスの三大名峰はご存じ、①アルプスの乙女・ユングフラウ4,158m ②アルプスの最高峰・白い山・モンブラン4,808m ③アルプスの女王・マッターホルン4,478m。

・美しい二つの湖の間に位置するインターラーケンを起点として、バスと登山鉄道にてユングフラウ・ヨッホを目指した。

・山の天気が気になり、薄暗い早朝、ホテル近くのヘーエマッテ公園へ散歩を兼ねて遠望。

・幸いにも、うっすらとユングフラウとシルトホルンのシルエットが映る、山頂付近は雲がかかっていたが少なくとも登山列車は運行すると確信、ホテルへ戻ろうとすると名古屋から同行していた美しく若い女性とすれ違い、挨拶したらこれから一人でシルトホルン展望台2,973mへ向かうという、お互いエール交換。

(登頂ルート)

 ①インターラーケン‘湖の間’567m・・・西のトゥーン湖と東のブリエンツ湖の間に位置する街、ここを起点としバスで出発。

 ②ラウターブルンネン駅797m・・WAB(ヴァンゲルアンプ鉄道)に乗換、周りは雄大で美しいアルプスの山々、エーデルワイスを見ることはなかったが‘アルプスの少女ハイジ’の世界に飛び込んだ。

 ③クライネシャイデック駅2,061m・・・JB(ユングフラウ鉄道)に乗換、いよいよ傾斜は鋭い、その殆どはアルプス三山(アイガー3,970m ‘アルプスの修道士’メンヒ4,107m ユウグフラウ)の山中、トンネルをゆっくり走る。

 ④アイガーヴァント駅2,865m・・・JB上りで5分停車、駅の中、難工事を思わせるモニュメントがあった、眼下は美しいアルプスの裾野、曇ってきた。

 ⑤アイスメーア駅3,160m・・・JB上りで5分停車、駅の外、トンネルの窓からフィーシャー氷河を見ることができる(ことになっている)、この辺りから吹雪が激しくなってきた。

 ⑥ユウグフラウ・ヨッホ駅3,454m・・・‘Top Of Europe’ 欧州で最標高の駅、いよいよアルプス展望とアレッチ氷河体験が実現か。

 →現実は、強烈な吹雪。 エレベータ25secに乗りスフィンクス展望台(晴れるとドイツ、フランスの山々も眺望できる筈)3,571mへ上がった、外はマイナス6.6℃、62km/hのblizzard、それでも外へ出て記念写真を撮る、稀有で貴重な体験。 アルプス展望とアレッチ氷河体験は次回への‘新たな夢’として残った。

 →JB創設者ツェラーの胸像、アイスパレス(氷の宮殿)、日本の懐かしい丸い赤ポスト(富士山郵便局と姉妹局、今回の待ち合わせ場所)を見学、超高地でのコーヒー、フレッシュミルクの蓋を少し開けたらプシュと音が出て中のミルクが飛び出す、気圧が原因の様々な現象が続く、速く動くと呼吸が困難、とても走ることは不可能などなど色々体験し楽しんだ。

⑤帰路、ユウグフラウ・ヨッホ駅からクライネシャイデック駅迄JB、WABに乗り換えグリンデルワルト1,034m経由でインターラーケンのホテルに無事戻る。 ミネラルウォータ・ペットボトルは膨らんだり‘ぺしゃんこ’になったり忙しい、新調したGore-Texトレッキングシューズが頑張ってくれた、そしてツェラーに感謝。

(参考) - JB Jungfrau Bahnen (ユングフラウ鉄道 ‘ラック式鉄道’) -

 ・クライネシャイデック(小さな分岐)駅が起点、アイガーグレッチャー(アイガーの氷河)駅1,898年完成、アイガーヴァント(アイガーの壁)駅、アイスメーア(氷の海)駅と続き、終着はユウグフラウ・ヨッホ(ユウグフラウの肩)駅1,912年完成、JB構想1,860年、建設開始1,896年の歴史。

 ・設計者A.G.ツェラーは全線の完成を見る前に他界1,899年、さぞかし無念、しかしアイガーグレッチャー駅が完成していたのはせめてもの慰みか。

☆ ユングフラウ・ヨッホへの登頂とアルプス展望という目的の旅。 荒天のためすべては叶わなかった、反面、強烈なblizzardや神秘的なアイスパレスなど数多くの体験、お陰でたっぷり楽しめた。 計画通りに進めることが難しい人生と同様、‘軌道修正もまた真なり’とpositiveに考え納得かつ貴重な旅であった・・・旅から帰り、友人推奨の‘ハイジ紀行-新井満・紀子著-(白泉社)’を読んだ、幸いにも‘ハイジの心’が残っていたのも‘新たな発見’であった。  インターラーケンでの夕食時、スイス伝統の民族舞踊‘フォークロア・ディナーショー’で、アルプホルンの響きと美しいヨーデルに聞き惚れた。 (2008.11.4 スイス・ユングフラウ・ヨッホへ登頂)。   

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2008年11月 1日 (土)

018 名誉市民とのお別れ

Cimg2586 Cimg2530_2 Cimg2580_2 ☆ 地方行政に命を掛けた巨星

・‘桑名市名誉市民(元NGSM町長)ITSH氏 お別れの会’に参列した。

・本blogで取り上げたのは、氏の生前、筆者と父二代に亘り公私ともお世話になり、思い出を表現しておきたかったのが理由。

・氏は、地方行政一筋に全精力を傾注され、地元住民から絶大な支持を受けた。

(要職歴任)

 ①昭和21年 ・・・ 伊曽島村役場(現桑名市)に奉職。

 ②昭和54年まで ・・・ 税務・土木・水道・総務のtopを歴任後、助役。

 ③昭和54年~平成11年(5期20年) ・・・ 町長。

    (兼、土地開発公社理事長、土地改良区理事長、福祉協議会理事長など多数)

(受賞歴)

 ①昭和26年~平成11年 ・・・ 自治功労者表彰、河川功労者表彰、水資源功労者表彰、名誉町長、名誉市民など多数、受賞。

 ②平成12年 ・・・ 勲四等瑞宝章受章。

 ③平成20年 ・・・ 従五位受章。

(ご家族との思い出)

 ・青年時代の氏は、戦争時代を過ごされ、飛行機に関心をいだき零戦パイロットとして活躍、メカ好きの父は自動車部隊、どちらも当時は稀有な選択、同年代であり自宅も近くいろいろ情報交換したらしい・・・戦争が終わり平和になった頃、ようやくこの話ができるようになったと父から聞いた、特に晩年。

 ・家族、国を守るため飛行機部隊を選択、その頃既に滅私奉公の精神をお持ちであったことが容易に想像できる。

 ・父がお付き合いさせて頂いた影響だろう、筆者は幼少の頃から何かとご指導頂いた。

 ・又、御子息と筆者は同年でもあり竹馬の友、現在もお付き合いが続いている、遊びが多いが(苦笑)。

 ・お元気であった2、3年前、ご夫婦と共に観劇でご一緒させて頂いた時の楽しそうなお姿、料亭のうんちく等・・・いろいろ思い出される。

 ・氏は誠実そのもの、大変気さくで親しみ易かった、枚挙に暇がない。

☆ 氏は大変な苦労人であった、このことを知る人は少なくない。 昭和34年の伊勢湾台風で家族を亡くされた、悲しみの中先頭に立ち町の復興に尽力されたと聞く。 のち社会的な議論となった長良川河口堰建設推進の原点は、家族を災害から守りたいという愛。 併せて‘輪中の郷’など各施設の建設により、文化の香り豊かな街への変貌・・・日本一安全で住みよい街になってきた、只管滅私奉公された氏のお陰。 2年先に逝った父と俗社会の懐かし話をするのだろうか?天国をさらによくする努力をされるのか?これからは共にゆっくり休んで頂きたいと願う -合掌- (1008.10.26 桑名市民会館にて)。

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